【三浦英雄列伝】和田義盛ーPart2 いじられキャラは弓の名手ー

ヨコスカ

前回につづき、新商品【三浦英雄列伝Tシャツ】モチーフのひとりである和田義盛をご紹介します。今回は歴史書などに記されている義盛に纏わるエピソードを通して、義盛の人柄を探ってみたいと思います。

エピソード1〜まさかのKY発言⁉︎〜

源平合戦のころの話。関東の大きな勢力であった三浦氏を頼りしにした源頼朝。合戦序盤となる石橋山の戦いの際、小田原で頼朝に合流するはずが、三浦氏勢は大雨の増水のため行く道を阻まれてしまいました。その間、源氏勢は撃破され、頼朝は行方知れずになってしまいました。一方やむなく三浦半島に撤退した三浦氏も本拠である衣笠城を襲われ、義盛の祖父である義明が1人城に残り、奮闘の末、討ち死にしました。

源平の戦いで負けが相次いだ末にようやく房総半島で合流を果たした源氏と三浦氏。両氏いずれも相当疲弊していました。『平家物語』によると、和田義盛は苦戦を生き抜きようやく会えた頼朝に次のように述べたと記されています。

「父が死に、子孫が亡くなっても、源頼朝公のお姿を見ることができたので、その悲しみも払拭されました。どうか悲願成就のためにも天下をお取り下さい。そして、天下を取った暁には私を侍所別当してください。私は侍所別当にずっとなりたいとおもっていたのです。」

敗戦直後の状況で大将に対して励ますまではいいとして、図々しくも勝利後の役職を直々にせがむとは!義盛の空気を読まない天然キャラ爆裂なこの発言は、家臣も呆れるほどでしたが、逆にそれまで緊張していた場の空気が一気に和んだと言います。

その後、頼朝は義盛の希望通りに、義盛を初代侍所別当に命じたのでした。

ちなみに、侍所別当とは、いわば軍事長官です。関東の御家人を取り仕切り、武士を統括する役職です。義盛が侍所別当に就いたことで、幕府内での和田氏の地位は確立しました。また、義盛は頼朝の功臣として名実ともに頼朝を支え活躍しました。

和田義盛
画像引用:Wikipedia

エピソード2〜帰りたいなぁ事件⁉︎〜

頼朝の異母弟であり、義経の異母兄にあたる源範頼(みなもとのりより)による、九州征伐のときのこと。侍所別当として従軍していた義盛は、範頼にとって戦略などを相談する良き相談相手でした。しかし九州征伐は、遠征軍の兵糧不足、交通手段の不足などにより長期化してしまいます。『吾妻鏡』に記された範頼の報告のなかに、義盛のまたしても天然な人柄がうかがえる一説があります。

「(東国からの遠征組は)みな戦いに退屈していて、本国を恋しく思っている。侍所の義盛までも密かに鎌倉に帰ろうとしている始末だ」

それまで範頼に寄り添い、共に戦略を練っていた義盛ですが、長引く遠征に痺れを切らし帰りたくなってどうすれば帰れるかを企んでいたとは?! 素直というか、無邪気というか・・・。

とはいえその後、ようやく兵糧と船を調達できた範頼は、義盛ら勝手に国へ帰ろうとする武士たちをなんとか足止めさせ、無事平氏方を撃破。平氏の後背戦力はみごと壊滅し、平氏はいよいよ追い詰められ、遂にその後の壇ノ浦の戦いで滅亡したのでした。

壇ノ浦の戦い
画像引用:Wikipedia

エピソード3〜ちょっとだけね事件⁉︎〜

またも『吾妻鏡』に記された義盛に纏わるエピソード。

頼朝の側近として侍所別当に就き信頼も得ていた和田義盛ですが、ある日、“1日だけね”と、休みの日のついでもあって、その職を侍所所司(次官)だった梶原景時(かじわらかげとき)に預けました。が、これは景時の謀略で、まんまとハマってしまった義盛は、別当の職をそのまま奪われてしまったのでした。ちょっとだけのつもりが、まさか・・・。

頼朝に直訴してまで得た侍所別当職を失った義盛ですが、頼朝の死後、二代将軍・源頼家によって設立された「十三人の合議制」の宿老(ご意見番)に任命されました。またしても、なんだかんだ結局はいい役に就くことができる義盛。その人望の篤さが伺えます。

ちなみに・・・侍所別当という重要な職がこんなにも簡単に奪われたり代わったりすることは考えにくいとも言われており、実際のところは、景時の侍所別当就任は将軍頼朝の意向によるものであると考えられています。

二代目将軍・源頼家
画像引用:Wikipedia

弓の名手は単純愚直

上記のエピソードからも、義盛は、どうやら常識にこだわらず、その場の空気に流されることなく、自分の思うがままに振る舞っていた人物であったようです。気は優しく、武勇に優れ、弓の名手としても一族や家臣たちに慕われていました。時の天下人である源頼朝にさえ信頼されていた程ですから、その人望はお墨付きです。横須賀・一騎塚伝説の男、武次郎義国もそんな義盛を慕い、和田合戦で一族に裏切られても唯一義盛のために命をかけ、ただ一騎で鎌倉に馳せ参じ、討ち死にしました。

一方、さまざまなエピソードで語り継がれているように、あまりにも単純で感情に流されやすい性格のせいで、敵味方問わずさまざまな策略にハマりやすい人物でした。

そんな、弓の腕前や役職にすこし不釣り合いと思われる単純愚直なキャラクターこそ義盛の魅力であり、三浦一族らしさでもあるのです。

”鎌倉殿の13人”

2022年放映予定のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。源頼朝の死後に発足した集団指導制度、「十三人の合議制」が題材になっており、和田義盛はその十三人のうちのひとり。製作発表時の横田さんのコメントにも、これまでみてきた義盛キャラが伺えます。

(脚本の)三谷さんからいただいたちょっとした“ヒント”によりますと、和田義盛は「気は優しくて力持ち、みんなから愛される西郷さんみたいなまっすぐな男。でも抜けているところがあるイジられキャラ」だそうです。その一方で、歴史上では、北条義時と最後まで張り合うことになる武将。肝を据えて小栗さん(義時役)に立ち向かっていきたいと思います。

NHK_PRサイト 横田栄司さんのコメントより

和田義盛=三浦一族の粗野で猛者的イメージとどこか憎めない生き方がドラマの中でどう描かれているのかも楽しみにしたいポイントです。

横須賀の海

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三浦の歴史上人物を全国に知らしめる、三浦(横須賀)の男による企み【三浦英雄列伝Tシャツ】。

和田義盛はモチーフとなる4人の英雄の中でも、比較的すでに名の知れた人物かと思います。資料も多くあるなかで、横須賀ジーンズ商会らしく、和田義盛の人物像に注目しました。いかがでしたでしょうか。

今後も同様に、独自の切り口で、三浦英雄列伝をお届けする予定です。

引き続きお付き合いのほど、よろしくおねがいします!

 

 

 

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